善教寺の来歴

善教寺の創建については、明治23年の『寺院明細牒』に、応永13年(1406年)了雲が栂牟礼城下古市村に開いたことが始まり、と記されている。その後、毛利高政が佐伯藩主になった際に、鶴谷城下に1602年善教寺本堂を建立、もと三河の上宮寺門徒であった高政公母妙西尼が教如上人に願い、1607年 東本願寺末寺となっている。

長野県松本市国宝松本城の天守閣完成時の城主石川玄蕃頭康長(1613~1642年佐伯住)は真宗の信仰者で、佐伯後田に生涯を終え、善教寺堂宇を墓所とする。

東本願寺

東本願寺は、浄土真宗「真宗大谷派」の本山で「真宗本廟」といい、御影堂には宗祖・親鸞聖人の御真影を、阿弥陀堂にはご本尊の阿弥陀如来を安置しています。宗祖親鸞聖人の亡き後、聖人を慕う多くの人々によって聖人の墳墓の地に御真影を安置する廟堂が建てられました。これが東本願寺の始まりです。(東本願寺HPより)

親鸞聖人 (1173年〜1262年)

親鸞聖人は、今から約800年前に誕生され、平安時代から鎌倉時代にかけて、90年のご生涯をおくられた方です。

9歳で出家され、20年間比叡山で厳しい修行を積まれますが、迷いの霧が晴れることはなく、聖人は山を下りる決心をされ法然上人をたずねられます。そして、「どのような人であれ念仏ひとつで救われる」という本願念仏の教えに出遇われます。

あらゆる人びとに救いの道をひらいたこの教えによって、多くの念仏者が生まれましたが、それまでの仏教教団からの反感をかうこととなり、朝廷への訴えによって、法然上人は土佐へ、親鸞聖人は越後へ流罪となりました。 その後に聖人は越後から関東に移られ、そしてその地で二十年間、懸命に生きるいなかの人々と共に暮らし、すべての人が同じくひとしく救われていく道として、念仏の教えを伝えていかれました。 そしてこのような聖人の願いと生き様は、教えに出遇って生きる喜びを見い出した多くの方々のご懇念によって、今日に至るまで相続されてきています。

親鸞聖人があきらかにされた浄土真宗の教えに耳を傾け、人と生まれた喜びと、共に生きることを大切に受けとめたく願います。(真宗会館HPより)